私が社会不安障害に気付いたきっかけ
きっかけ
私が高校生のときでした。
国語の音読で声が震え出したことがきっかけです。
そのときは、”声” のみが震えていました。
一度震え出したら止まりません。
それがトラウマになり、毎回震えるようになってしまいました。
声が震える → 周りにバレていないか気になる → 周りから変に思われている気がする
完全思い込みの完全トラウマです。
なにがキッカケかは分かりませんが、今思えば、クラスに我が強い人がいたのが、繊細の私には合わなくて苦手だったのかなぁ。
それから国語の時間がトラウマで、次第に避けるようになっていきました。
途中で国語の授業だけを抜けることはあからさまだったので(ここでも周りを気にする)、1限~2限をすっぽかして、遅刻して登校するようになりました。
親には、普通の時間に行ってきまーす!と家を抜け出し、近くの海でボーっと時間をつぶしていました。
しかし、いつまでも欠席できるわけにもいきません。
最終的に、保健室の先生へ相談へ行き、”国語の音読は私を当てないように”というルールを作ってもらいました。
間違えて当てられ、恥ずかしい思いもしましたが・・・・
皆の前で「〇〇さんごめ~ん当てちゃった~。」て言われたのは、この世の人生の終わりかと思いました・・・今でも恨んでます。
逃げ場がない空間、
私の人生の中で高校生活が一番辛かったです。
前兆
それまで少し前兆はありました。
小学生の頃は、パワハラ教師の強制挙手制度が苦手で、2週間ほど不登校。
中学生の頃は、お腹が鳴る音が恥ずかしくなって、ずっと悩んでいました。
そして、高校生の音読。
高校生のときは、その他にも遠出するときによくお腹が痛くなってたっけ。
思春期と不安障害が重なるとろくなことがありませんね。
今の若い子たちがSNS上で自由に活躍しているのが羨ましくて微笑ましいです。
その後の人生(大学編)
そんなこんなで、完全に人前が苦手な体質に変わってしまいました。
大学は、ゼミの卒業発表がないかという基準で選択。
余談ですが、不良大学のオープンキャンパスに行ったときに、授業中に話しまくったり、途中で授業を抜け出したり等の、身軽な部分が魅力的に見え、危うく入りそうになったりもしました。
さすがに友達が阻止してくれて、なんとか入学は免れましたが。
判断基準がまんまと狂ってしまいました・・・・
親に多額の学費を払ってもらっていたのに、情けないです。
人前以外は、ごく普通の生活をしてきました。
仲のいい友達もいたし、旅行もたくさん行ったし、接客のバイトもしていました。
人前と、人前での発言が発生しそうな拘束された空間、
だけなんです。私が狂うのは。
次回は、”薬を飲みながらの社会人編” へつづく。。。